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体術による浮き沈みについては普段の稽古で説明している為、

ここでは違う方面からこの術理についてアプローチする。

 

全ては自分自身の認識から始まる。

我々には3つの身体があると言われているがスピリチュアルの世界での正確性は

どうでもいいのでここでは2つの身体で説明する。

また他の限定ページ同様、過去の文献・伝承を基に研究・検証を繰り返した結果、

辿り着いた現時点でのひとつの仮説に過ぎない事をここに明記する。

 

浮きと沈み


ほぼ全ての人は自分を目で見える肉体(1つ目の身体)と意識又は精神(2つ目の身体)で自己を捉える事が出来ると思う。

このとき、2つ目の身体の認識をどう捉えているか?

・・・

おそらく、どうも捉えていないだろう。

ここの部分が曖昧なまま、イメージや感覚でこれから説明する技術を行使したとしても大した効果は得られない。

よって先ず、意識体での自己の境界を認識することから始める。

自らの意識体が上の図のように肉体と同じ形をしているとは限らないからだ。

精神は漠然と肉体の内部に在る。・・・本当に?

 

結論から言う。

このもう一つの身体(意識、精神体としての身体)の形状を変化させて移動させ続ける。

これが体術で無い浮き沈みの極意となる。

 

 

(例)

薄い青枠を意識体だとすると下の図の様になる。

 

おそらく、誰一人として同じ形状をしていないだろうと考えているが定かではない。

そして例に漏れず、これは体術と両輪だということも忘れてはいけない。

体術を併せ持っていない人間には意味のない技術だという事を。

 

(例)

重力・重さの性質を付加する時、自分はこのような感覚で行っているイメージをそれとなく表しているイラスト・動画を貼っておく。



 

と、ここまでの説明が理解出来ればある疑問が生まれるはずだ。

 意識的な制空権にもこの技術が使用されているのではないか?

と。

 

そしてその疑問は正しい。

文字通り”纏う”のだ。(便利な言葉)を。

打気(攻撃意識)、掌握(パーム)、無想(ドップラーレーダー)等に代表される技術の根幹となり、写輪眼(?)状態での素戔嗚もこの上位技術に位置付けられる。

 

要約すれば 第二の身体は

形を変える容れ物であり、内容物でその効果が変化する 

もうひとつの自分なのだと。